第11章 人生儀礼
やってみればわかります その大切さ
[赤ちゃんの儀礼]
実は胎教の延長 とても大切なことです
一、安産祈願(あんざんきがん)と腹帯(はらおび)
腹帯の効果がいま見直されています。懐妊すると五ヶ月目の戌の日に、母体の健康と、赤ちゃんが月満ちて元気に誕生するようにとの願いを込め、神社で安産祈願を受け、腹帯を着けます。「帯」を着けることから「帯祝い」とも「着帯の儀」ともいいます。この帯祝いの歴史は平安時代にさかのぼります。正式な腹帯は「岩田帯」といわれる、紅白の絹二筋と白木綿一筋を重ねたものです。
腹帯は、母体の保護安全のために懐妊五ヶ月の戌の日を選んでお腹に巻きます。戌の日を選ぶのは犬が安産であり、丈夫な子を産むとされ、それにあやかるためともいわれています。腹部の保温や、胎児の位置を正常に保つための理にかなったもので、授かった新しい命に対する社会的な認知の儀礼でもあります。
神さまの思し召しで胎内に宿った胎児の健やかな発育を願い、帯び祝いをします。普通は木綿の腹帯で、長さは六尺ほど、あるいは縁起をかつぎ七尺三寸五分にします。腹帯を着けることにより、子供が育ちすぎず、お産が軽く済むように願う日本固有の出産文化でもあります。最近は伸縮性のあるコルセット式腹帯やガードル型腹帯を使用する人も見受けられます。
「安産祈願」は、夫婦を始め両家の両親が氏神さまへ詣で、懐妊を奉告し安産を祈願するのが一般的です。遠方に住む子供夫婦のために、両親が、神社で祈願を受けた腹帯とお守りを送る事もあります。五ヶ月目の戌の日を選び、ご祈祷を受けます。神社によっては腹帯を準備しているところもあります。妊娠中には、食事と健康管理に留意し、身を慎み精神の安定を図ることが胎教にもよいのです。葬式や火事に出会わないように気をつけますが、これは精神的ショックから母体がストレスホルモンを作り出し母体の血液が胎盤を経て、胎児の身体に影響するからだといわれています。
そのためにも、神社で受けたお守りを腹帯に巻き込んでおくのも大切なことです。この時期は赤ちゃんにとって、非常に大切な時期であり、医学が発達した現代でも、出産は女性にとって命がけの大事です。心安らかに、明るく健康で過ごせるよう本人も周囲の人も注意する必要があります。安産のためには様々な努力と、周囲の支えが必要となります。
二、産湯(うぶゆ)
赤ちゃんが生まれて初めてするお清め
赤ちゃんが生まれるとすぐに湯をつかわせます。生後三日目につかわす湯を昔は産湯といって重視していました。産湯には、氏神さまがお守りくださるその土地の水を使いました。「〇〇で産湯をつかった」など、産湯が人の出生に大きく関わっていたことを聞かれたことがあると思います。赤ちゃんにとって産湯は、出産の際の穢(けが)れ祓い清める禊(みそぎ)であり、人間社会の仲間入りをさせるという重要な意味があるのです。
産着(うぶぎ)は現在ではベビードレスを着せますが、以前は麻の葉模様の着物を着せました。麻は魔除けの意味があるとされ、丈夫に真っ直ぐに育つことに由来します。
三、命名(めいめい、名づけ)
お七夜(おしちや)に命名、奇抜な名前はほどほどに
赤ちゃんが誕生したら、先ずは名前を決めなくてはなりません。役所への出生届けは生後十四日以内に提出すればよいのですが、誕生から七日目を「お七夜」といい、命名をします。
出産前に夫婦で字の画数や意味を考え名前を準備したり、あるいは尊敬する人や長老に名づけ親になっていただきますが、本来は生命をいただいた氏神さまから、その子の名前を授けていただくのが好ましいでしょう。神社に相談されると、お子さんの幸福を神前に祈り、相応しい名前を命名するほか、家族で考えた候補の中から選んで命名します。
名前は単なる識別符号ではありません。一生の幸せを祈って、慎重に考え、読み方の難解なもの、あまり奇抜な名前はほどほどにしたいものです。決まりましたら命名書を書き、家の神棚に貼ってお披露目します。用紙は半紙、または命名用紙に書きます。用紙は文具店でも入手できます。
四、初宮参り(はつみやまいり)
這(は)えば立て、立てば歩めの親心
日一日と可愛く成長するわが子。この子が丈夫に賢く育ちますようにと出産後初めて氏神さまにお参りに行くことを初宮参りといいます。初宮参りとは、お産の穢れを祓うと共に、子どもの無事誕生を感謝し、今後の健やかな成長を願い、氏神さま、または安産祈願をした神社にお参りします。「神さまの御霊(みたま)を賜ってお蔭様で無事誕生しました。今日よりこの子も神さまの氏子となります。末永くお見守り下さいますよう宜しくお願いします」と奉告かたがた神社でご祈祷を受けます。一般には、男の子は三十一日目に、女の子は三十三日目以降に神社にお参りしますが、地方によっては百日目に行うなど若干の違いがあります。天候や、母子の健康状態を見て参拝の日を選びます。お宮参りには赤ちゃんに母親の実家から贈られた晴れ着を着せ、姑や母親が抱いてお参りするのが古来よりのしきたりです。お宮参りは地域の人から認知してもらうよい機会でもあります。
地方によっては、生後一年目の初めての誕生日に「初誕生参り」を祝います。満一歳の誕生日を無事に迎えられたことを感謝します。誕生日前に歩き始めた子には「一升餅」を背負わせ、わざと尻餅をつかせるところもあり、これから二本足で歩く新しい魂の力を身につけさせるためのお祝いともいわれています。
五、お食い初め(おくいぞめ)
えっ! 石も食べさせるの?
生後百日目に、赤ちゃんにはじめて本膳(一汁三菜)を食べさせるまねをする儀式を「お食い初め」といいます。「この子が一生食べ物に困らないように」という親の願いが込められています。赤ちゃんの食器を整え、食膳には、赤飯や尾頭付きの焼き魚、煮しめ、なます、お吸い物を並べ、食事の真似をさせます。また丈夫な歯が生えるよう「歯固め」として小石を添える習慣もあります。地方によって違いがあり生後百二十目にお食い初めを行なうところもあります。初めにご飯から食べさせるまねをします。お食い初めの塗り膳は神社で受けるか、ベビー用品の店で求めます。
六、女の子の初節句
お雛(ひな)さまの原型って知ってる?
女の子が生まれてはじめて迎える三月三日を初節句といいます。「桃の節句」「上巳(じょうし)の節句」ともいわれ、昔、中国ではこの日を「悪日」とし、水辺に行って口をすすぎ、手を洗い、身を清める習慣があり、お祓いの行事でもありました。これが日本に伝わり「上巳(じょうし)の祓(はらえ)」として定着し、紙で作った人形(ひとがた)で身体を撫で、息を吹きかけ、その人形に罪穢れを移し、海や川に流すといったお祓いの行事となりました。この人形は流し雛(ながしびな)ともいわれ、時代を経て、王朝風の美しい雛人形へと変化し、人々に親しまれるようになりましたが、お雛様の原型はこの流し雛です。初節句には、お嫁さんの実家から雛人形が贈られることが一般的な傾向です。親王飾りの男雛は天皇陛下を表し、向かって左に、女雛は皇后陛下を表し、向かって右に飾るのが正しい飾り方とされています。宮中の伝統を三人官女(さんにんかんじょ)、五人囃子(ごにんばやし)、随身(ずいしん)、衛士(えいし)、左近の桜(さこんのさくら)、右近の橘(うこんのたちばな)に見ることが出来ます。娘の幸せな将来を願い、嫁入り道具の雛形(ひながた)を飾ります。雛あられ、菱餅などの縁起物をお供えしますが、菱餅の赤・白・緑の色は桃の色・白酒・蓬(よもぎ)を表し、これらには邪気を祓う力があるとされています。貞操・良縁成就を祈りハマグリの吸い物もお供えします。早めに飾り、ひな祭りが終わったらすぐ片付けます。片付けが遅れると婚期が遅れるなどともいわれます。桃の花と菜の花を活けて祝います。
七、男の子の初節句
なぜ柏餅を食べるの?
男の子が生まれて初めて迎える端午(たんご)の節句を初節句といいます。中国のしきたりが平安時代に日本に伝わり日本古来の慣わしと結びつきました。端午の「端」には初めという意味で、「端午」は月の初めの「午(うま)」の日を指し、これは数字の五と同じ音であり五を重視する中国の思想から漢時代以降は五月五日を端午の節句というようになりました。
端午の節句には、滝登りをする鯉のように力強く育つことを願い鯉のぼりを飾ったり、立身出世するよう鎧兜(よろいかぶと)・武者人形を飾って、健やかな成長を祈ります。
五月人形は甲冑を中心に、のぼり・太刀、弓矢・太鼓・陣笠・軍扇を飾り、菖蒲酒・粽(ちまき)・柏餅を供えます。その日には邪気を祓うとされている菖蒲と蓬の葉を軒につるし、更に湯船に入れ菖蒲湯にする行事が行われます。「菖蒲」が「尚武」に通じることから、男の子の成長を盛大に祝うようになったのです。柏餅をお供えする由来は、柏の葉は新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、「家系が途絶えない」すなわち子孫繁栄につながり、五月節句に欠かせないめでたい食べ物とされたのです。
[子供の儀礼]
三つ子の魂百までも。あなたが行なう儀礼がお子さんの心を豊かに育みます。
一、七五三のお参り
髪置き(かみおき) 袴着(はかまぎ) 帯解き(おびとき)なぜ行うの?
七五三は、子どもの人生儀礼の代表にあげられます。数え年三歳の男の子と女の子、五歳の男の子、七歳の女の子が十一月十五日に氏神さまにお参りし、健やかな成長と健康を祈ります。七五三と呼ばれる儀式の原型は江戸時代、将軍綱吉の子徳松君の髪置きに始まったとされています。庶民など一般に広まったのは明治の初めといわれています。古くは、平安時代の公家の習慣である髪置き(かみおき)、袴着(はかまぎ)、帯解き(おびとき)に由来します。髪置きとは、誕生後初めて髪を伸ばし始める儀式で男女共に三歳の吉日を選んで行いました。袴着というのは、五歳の男の子が初めて袴をはく儀式です。碁盤(ごばん)の上に立って、吉方に向き、左足から袴をはいて、小袖を着て、扇を持ちました。碁盤の上に立つのは、宮中では、碁盤は吉方を占う道具であり、武家では碁盤の上の勝負を城取りになぞらえて、それに乗ることで天下を取ることを願ったのです。左から袴をはくのは、吉とされた陽の足から入れることに由来するものです。帯解きは、帯結びなどとも言われ、室町時代の上流階級の女の子が七歳になるまで着ていた着物から付け紐だけとって、初めて本格的な帯を締めることができるようになったことをいいます。「七つまでは神の子」といわれますが、七つになってはじめて社会からその人格が認められたのです。
七五三が十一月十五日に行われるようになったのは、その日が暦の上で満月に最も近い日であり、陰陽道(おんみょうどう)でいう最上の吉日とされているからです。稲の収穫を終え、比較的天候の安定した時期ということもあります。晴れ着を着て家族揃って神社にお参りし、長寿と健康の願いが込められた千歳飴をいただきます。
二、勧学祭(かんがくさい)
入園 入学式 この日を待ちこがれていました
桜ほころぶ春四月には、待ちに待った入園、入学式が行なわれます。幼稚園の入園、小学校の入学にあたり、神社では学業成就と身体健全を祈願する勧学祭が行われます。特に小学校への新入学の際には、集団生活を始めるにあたり環境の変化にいち早く慣れ、精神的にも、身体的にも落ち着いて楽しく学べるようお参りします。小学校、中学校、高校、大学と進む毎に、常に入学を奉告(ほうこく)し、神さまのご加護をいただきます。また、卒業に際しても感謝の御礼参りをします。
三、受験合格祈願
人生最初の試練 神さまどうかお見守り下さい
辛(つら)い受験勉強。受験生の負担は相当なものです。このような人生最初の試練に力を貸していただけるよう、試験に当たり合格祈願を致します。厳しい受験戦争に勝つため、お神札やお守りを受け、体調もよく、平常心で実力を発揮できるようお願いします。合格祈願は一般には天神さまが有名で、絵馬が沢山奉納されているのを見かけることがありますが、地元の神社にお参りすることが基本です。合格した折は、御礼参りをし、更なる学業成就をお願いします。就職祈願も同様です。
不幸にして不合格になっても、心新たに再挑戦する事を誓い、神さまのご加護をいただけるよう努力したいものです。
[大人の儀礼]
一、成人式
大人になるって、どういうこと?
成人式とは、子供の段階から大人の社会へ仲間入りするための儀礼をいいます。昔、男子は十五歳前後になると、衣服を改めて冠をかぶる「元服加冠(げんぷくかかん)」の儀式を行い、大人になったことを祝いました。女子は髪を初めて結い上げる「髪上げ」の儀式をもって大人になった証(あかし)としました。これが成人式の始まりといわれています。
私たちが日常使っている「冠婚葬祭(かんこんそうさい)」という言葉の「冠」はここから来ており、成人式がいかに重要な儀式であるかうかがえます。
神さまのご加護(かご)によって、無事に二十歳(はたち)を迎える事ができたのですから、まずは地元の神社に詣で、感謝の心で成人報告をし、今後のご守護をお祈りするご祈祷を受けることが古来の慣(なら)わしです。そして、今後の人生を、自分の責任と努力によって切り拓き、自立した社会人としてのつとめを自覚し、より良い社会を築くために、世の為、人の為に尽くすことを誓う日が成人式なのです。
「成人の日」は、昭和二十三年に「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます」との趣旨のもと、国の祝日に定められました。しかし、昨今の成人式では、この主旨と厳粛さを新成人自らが否定するような事態が全国各地で起きています。式に出席する若者が、外見だけは晴れ着で着飾って一人前の大人のように装っていても、久し振りに再会した友人との談笑に興じるあまり、式典を主催する自治体の長の式辞や講演に関心を示さず馬鹿騒ぎをして、自分自身のモラルの低さを露見させる場になっていることは残念なことです。
成人を迎える若者には、「素敵な人」になってもらいたいと思います。「素敵な人」とは、年配の人からも、後輩からも、あらゆる人から見て魅力がある人のことをいいます。そのためには、相手に不快な思いをさせない気配りや、思いやりの心をもって自分の内面を磨き、高めることが大切です。自分と気の合う同じ世代の友達とばかり付き合っていては、こうした人間として一番大切な感性が養われません。社会では、さまざまな世代の人たちとの交流が不可欠です。成人式を契機に、「素敵な人」を目指す誓いを立てて欲しいものです。
二、神前結婚式
イザナギ、イザナミの神さまのことを知れば、結婚の意義もわかります
『古事記』という日本最古の書物の中に書かれている神話には、日本の国の成り立ちからの出来事が伝えられています。この中に伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)、男女のお二人の神さまは、天上の神々が示された「この未完成な国を立派なものにしなさい」とのお言葉によって、地上の「おのごろ島」に降りられたとき、そこに宮殿を建て、「天の御柱(あめのみはしら)」という天にまで届く聖なる柱を巡って結婚の儀が執り行われ、そこから日本の国土や山川草木をお生みになったと伝えられています。
現在の神前結婚式は、その神話の精神を受け継いでいるのです。すなわち、神前で結婚式を挙げることは、神話に伝えられる日本の発展の基礎を固められた、伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神さまのご結婚と同じ意味、使命を持つものと考えられ、長い人生を共に助け合いながら社会に貢献して行くことを神さまにお誓いする、人生の最も大きな節目としての意義があります。
神前結婚式の形が整えられたのは、室町時代からといわれています。ただそれは現在のように神社や結婚式場の儀式殿で行われるのではなく、各家庭の床の間がある座敷において行われていました。平安時代の宮廷、貴族の間で執り行われてきた結婚の儀式は、今日の皇室のご婚儀に受け継がれていますが、一般には、家々の床の間のある座敷において行われていたのです。床の間には伊邪那岐、伊邪那美の二神、或いは天照大御神、大国主命等の神名を記した掛け軸を掛け、その前にお祝いの品や種々のお供物を供え、その前で神酒を戴いて夫婦の固めの盃を交わす形のもので、公家や大名から一般民衆にも普及し、長く明治時代に至るまでの一般的な結婚式の形態でした。現在広く行われている結婚式の形式は、明治三十三年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)と九条節子姫(後の貞明皇后)のご成婚に始まります。宮中の歴史においてはじめて賢所(かしこどころ、天照大御神さまをおまつりする御殿)の神前で婚儀が行われ、この皇室のご婚儀を契機として民間においても、神社の神前で執り行われる神前結婚式が生まれ、それが次第に普及し現在のように定着してきたのです。
神前結婚式
古くからのしきたりである結納を経て、先ずは神社や結婚式場に予約をします。大安や友引、先勝等の吉日を選びます。神前でお祓いを受け、祝詞を奏上していただき、三々九度(さんさんくど)の盃を交わした後、新郎新婦は誓詞を読み上げ、神前に生涯の愛を誓います。親族固めの盃を交わし、結婚が二人の間だけのことではなく、両親や親族に支えられ今の自分たちがあることに感謝します。真の日本人として、地域社会の一員として認めてもらう大切な儀式であることを自覚します。
近年、様々な形の結婚式が行われていますが、氏神さまに見守られ成長し結婚するわけですから、伝統と格式のある日本古来の神前結婚式を和装で挙げるのが最善といえます。
文金高島田に角隠し(つのかくし)・白無垢(しろむく)姿の花嫁衣裳に込められた思いは、純真無垢な気持ちで嫁(とつ)ぎ、やさしい気持ちを持って、一日も早く嫁ぎ先の家風になじみ、幸せな一生を過ごせるようにとの願いが込められているのです。
三、厄年(やくどし)と厄祓い(やくばらい)
大切な人生の節目
厄年とは、災難に遭遇したり、病気にかかったり、事故にあうなど、身辺に不幸や災いが起きやすい年齢のことをいいます。数え年で、男は十三歳、二十五歳、四十二歳、六十一歳。女は十三歳、十九歳、三十三歳、三十七歳、六十一歳といわれ、特に男の四十二歳、女の三十三歳は「大厄」ともいわれています。もともとは、中国から渡来した陰陽道(おんみょうどう)の影響によるもので、室町時代からは公家や武家社会で信じられ、近世になって民間に広がったものです。四十二歳が「死に」三十三歳が「散々」と呼ぶなど、言葉遊びの要素もふくまれることから、この年齢が定着したのは江戸時代のことと考えられています。厄年とは、私たちの祖先が永年にわたる営みを通して心と身体の調子が不安定になる年齢というものを体得し、我々子孫にまで伝えられてきた社会的慣習のことです。
男女の十三歳は、昔なら一人前とみなされ、子どもから大人の入り口に差し掛かる頃であり、身体の調和がうまく取れない時期といえます。女性の厄年からいえば、十九歳は思春期の心も身体も不安定な時期であり、また三十三歳といえば出産も一段落し、母体が変調をきたす時期といえます。また、男性の厄年でいえば、二十五歳は社会に出て最初の試練にさらされる頃であり、四十二歳は働き盛りで知らず知らずの内に無理を重ねる年頃です。そして男女の還暦である六十一歳は、定年を迎え社会の一線から退き、疲れの出る頃とされています。これらの厄年は医学的に見ても人の一生の心身の周期に合っており、理に適っているのです。
厄祓いは数え年で行います。今は誕生日が来ると歳を重ねますが、古来より、お正月に年神さまをお迎えして、この一年の幸福をいただくのが年の始まりとされ、そのときに歳を取ると考えられていました。したがって元旦から厄年に入りますので、お正月に厄祓いをするのが慣わしです。遅くとも節分までに行うのが一般的です。
特に男性四十二歳、女性三十三歳は大厄といわれ、その前後の年を、前厄、後厄といい、前厄から三年間は神社で厄祓いのご祈祷を受けます。厄年の期間は「祈り」「慎み」の心を持って過ごすことが大切です。
四、方位除け(ほういよけ)
迷信・気休めではありません 自然の摂理に基づいています
私たちの日常で、にっちもさっちも行かない状態を「八方塞(ふさ)がり」だとか「この方角は鬼門(きもん)だ」更には「年回りが悪い」等といいます。家相や方角、そして年回りから来るあらゆる災いを除く祈願が方位除けです。
現代の社会では、必ずしも地相や家相にかなった家を建てることは容易ではありませんし、家の引越し、増改築、旅行などによって、知らず知らずのうちに悪いとされる方位を犯しながら日常生活の中で事に当たらなくてはならないことが多々あります。
「八方塞がり・鬼門・病門」の年に当たっている方は、年回りによる祟(たた)りや障りがあるといわれ、厄年と同様にお正月に方位除けのご祈祷を受け、一切の災いをお祓いし、安心して一年を過ごされるとよいでしょう。
五、長寿のお祝い
古稀(こき)・喜寿(きじゅ)・米寿(べいじゅ)どんな意味があるの?
古稀(こき)・喜寿(きじゅ)・米寿(べいじゅ)どんな意味があるの?
父母、祖父母たちをはじめ、一家のものが長寿であることほど、おめでたいことはありません。家族一同揃って長寿を寿(ことほ)ぐとともに神社に参拝し、平素のご加護に感謝し益々壮健で長生きするよう祈願いたしましょう。長寿の祝いとは、年祝いとも言います。中国より伝来した頃は、四十の初老の賀から始まり、以後十年ごとに九十賀まで祝いました。奈良時代には貴族の間で長寿を祝うしきたりができ、室町時代に入ると、このほかに六十一歳、七十七歳、八十八歳、九十九歳、などにも、それぞれ祝いの意味を持たせて、日本的なお祝いをするようになりました。そして江戸時代に入ると民間でも盛んに行われるようになりました。
人生経験豊かな年長者に敬意を表し、ますますの健康と更なる長寿を願って盛大にお祝いを致します。
【長寿のお祝いの年齢とそのいわれ】
「還暦(かんれき)」六十一歳 還暦の字のとおり子、丑等の十二支(じゅうにし)と甲乙丙などの十干(じっかん)が生れた時と同じになる、つまり暦が元に戻ることから名付けられたもので、生まれた年の干支を「本卦(ほんけ)」ともいい、「本卦がえり」ともいいます。
「古稀(こき)」七十歳 中国の詩人・杜甫の詩「人生七十年古来稀なり」から取った名称です。
「喜寿(きじゅ)」七十七歳 喜びという字の草書体が七十七と読めることから「喜字の祝い」ともいわれます。扇子に「喜」の字を書いて贈る習慣もあります。
「傘寿(さんじゅ)」八十歳 傘の略字が八十に読めることからきています。
「米寿(べいじゅ)」八十八歳 米の字を分解すると八十八になることからきています。
「卒寿(そつじゅ)」九十歳 卒の略字が九十と読めることからきています。
「白寿(はくじゅ)」九十九歳 「百」という字から一番上の一を取ると「白」になることから、百引く一で九十九歳をいいます。
「上寿(じょうじゅ)」百 歳 このうえない長寿という意味で百歳以上のお祝いをさします。
六、人生儀礼・お祝い・厄年一覧表
※子供のお祝い
妊娠五ヶ月目 |
帯祝い |
生後七日目 |
お七夜・命名 |
生後一ヵ月目 |
初宮参り・女の子 |
生後百日目 |
お食い初め |
一歳前 |
初節句 |
一歳 |
初誕生 |
三歳から五歳 |
保育園・幼稚園入園・勧学祭 |
三歳・五歳・七歳 |
七五三祝 |
六歳 |
小学校入学・勧学祭 |
十二歳 |
中学校入学・勧学祭 |
十三歳 |
十三参り |
十五歳 |
中学卒業・高校入試合格祈願・高校入学・勧学祭 |
十八歳 |
高校卒業・就職・大学合格祈願 |
十九歳 |
女子厄年 |
※大人のお祝い
二十歳 |
成人式 |
二十五歳 |
男性厄年 |
三十二歳 |
女性前厄 |
三十三歳 |
女性大厄 |
三十四歳 |
|
女性後厄 |
|
三十七歳 |
女性厄年 |
四十一歳 |
男性前厄 |
四十二歳 |
男性大厄 |
四十三歳 |
男性後厄 |
六十一歳 |
還暦 |
七十歳 |
古稀 |
七十七歳 |
喜寿 |
八十歳 |
傘寿 |
八十八歳 |
米寿 |
九十歳 |
卒寿 |
九十九歳 |
白寿 |
百歳 |
上寿・百賀 |
コラム
端午の節句や桃の節句のお供えには、どんな意味があるの?
端午の節句に供えられる柏餅の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、それにあやかり、親が子供の成長を見届けてから世代交代をする、すなわち、家系が絶えないことに繋がり、子孫繁栄のめでたい食べ物とされています。五月の節句には粽(ちまき)と共にいただきます。
桃の節句に備える菱形をした菱餅は上から桃色、白色、緑色に重ねられています。邪気を祓うとされている桃のピンク、魔除けの薬草として知られる蓬の緑色、そして百病を防ぐとされる白酒の白色が用いられ健やかな成長を願っていただきます。菱形をしているのは、菱の葉は四角がとがって魔除けの意味があるとされているからです。雛あられも同様に三色で作られています。
人生儀礼にはそれぞれに意味のある食べ物があります。支度を整え、身も心も清らかにその日を迎え、神さまに感謝し、更なるご加護をお祈りしましょう。