第1章 神さまのお話

一、日本の神さま

何人いるの?えっ八百万?

 わが国には、八百万(やおよろず)の神さまがいらっしゃるといわれます。八百万とは、数え切れない程たくさんという意味で、『古事記』(こじき)や『日本書紀』(にほんしょき)に記載され、神社におまつりされている神さまだけが、その全てではありません。もともと、四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた日本民族は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切なものでした。自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神さまは、私たちの生活のすべてに関わる神さまとして、人々に崇(あが)められるようになったのです。

二、山の神さま

春になると田の神さまになるの?

 山の神は、生産をつかさどる神さまです。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物(えもの)や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと信じられてきたからです。特に狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神さまとして厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。

三、水の神さま 海の神さま

お清めのパワーがすごい?河童(かっぱ)も水神さまの化身?

 水は、人間が生きていくのに不可欠なものですが、水にまつわる神さまを総称して水神(すいじん)といいます。ひとくちに水神といってもさまざまな信仰があります。例えば、田の水は川から引きますが、その水神は川の神とされます。また、飲料水などを汲(く)む井戸におまつりされるのは井戸神です。水神は蛇や龍、河童などに姿を変え、時折(ときおり)人前に姿を現すとの伝承もあります。
 海をつかさどる神を海神、またはワタツミの神、安波(あんば)さまともいいます。海の恵みをもたらし、海難から人々を守ってくれる神さまです。また、亀や魚などは海神の使者であるとも考えられ、それを助けたために、海の底の宮殿へ行くことが出来たという説話が数多く伝えられています。浦島太郎の話などはその代表例といえるでしょう。八龍(はちりゅう)さまと呼ぶところもあります。また、船魂(ふなだま)は船を守護してくれる神さまで、漁業関係者に広く信仰されています。

四、竈(かまど)の神さま

危ないから「火の用心」 神聖だから「火の要鎮」

 火は、人間が生活していく上で欠かせないものです。私たちの祖先は、暖をとったり食物を煮炊きしたりする炉(ろ)や竈の神さまを大切にしてきました。また、竈の煙が盛んに出ることは、家が栄えるしるしともいわれ、竈の神さまは家の神としての性格も持っています。
 おまつりする方法としては、炉や竈の近くに神棚を設けて、そこにお神札(ふだ)や幣束(へいそく)をおまつりするという形が多いようです。

五、七福神

国籍はどこ?国際色豊かな神さまたち

 七福神は、福徳をもたらす神々として広く庶民に親しまれています。初めはいろいろな神を福神としてきましたが、次第に恵比寿(えびす)・大黒(だいこく)・弁財天(べんざいてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・布袋(ほてい)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)に定着してきました。場合によっては、寿老人の代わりに吉祥天(きっしょうてん)をいれることもあります。福徳、中でも金運をもたらす神々として信仰が盛んになるのは室町時代のころからです。
 大国主神(おおくにぬしのかみ、大黒さま)・言代主神(ことしろぬしのかみ、恵比寿さま)は親子神で、古来より日本で福の神として信仰されてきた神々です。恵比寿さまは海運守護・商売繁盛の神、大黒さまは福徳の神といわれます。布袋さまは実在の人物で、中国の禅僧です。弁財天・毘沙門天は、インドの仏教の神々です。福禄寿・寿老人は中国の道教の神々で共に長寿を象徴します。

六、お稲荷(いなり)さま

昔から商売の神さま?

 全国の神社の中で最も多いといわれているのが稲荷神社で、総本社は、京都の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)です。
 ご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、大宜津比売(おおげつひめ)、保食神(うけもちのかみ)とも称されています。「稲 荷(いなり)」は「稲成(いねな)り」から変化したともいわれ、もともとは農業の神さまとして信仰されていましたが、現在では結びの信仰(ものごとを生み増やす生成発展の信仰)から、諸産業の神さま、特に商売繁盛の神さまとしても信仰されています。
 稲荷神社の社頭には、朱塗りの鳥居が幾重にも建てられていることがありますが、朱色は生命の活性化、躍動感を表すといわれ、災厄を防ぐ色ともいわれます。また、狐の置物もよく見られますが、これは田の神、山の神の信仰との結びつきと考えられ、稲が実るころに山から人里近くに姿を現す狐の姿を、人々は神さまの使いと考えたと思われます。
 稲荷神社のお祭りは「初午(はつうま)祭」が有名です。これは、伏見稲荷大社の神さまが三ヶ峯(みつがみね)に天下(あまくだ)られたのが、和銅四年(七一一年)旧暦二月の初午の日であったことに由来し、毎年二月の最初の午の日にお祭りが行なわれます。

七、八幡(はちまん)さま

武道の神さま?

 八幡神社の総本社は、九州大分県の宇佐(うさ)八幡宮です。そのご分霊(ぶんれい)が貞観元年(八五九年)に京都の男山におまつりされたのが、石清水(いわしみず)八幡宮。また鎌倉時代、源頼朝により勧請(かんじょう)されたのが鶴岡八幡宮です。八幡信仰は、武士の台頭とともに急速に広まり、全国各地に約二万五千の八幡神社がおまつりされています。
 ご祭神は応神(おうじん)天皇・比売神(ひめがみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)で、武運長久の神さまとして信仰を集めていました。その関係から、八幡神社では流鏑馬(やぶさめ)の神事が行われるところが多いようです。現在は武道ばかりでなく、運動などにご利益がある神さまとして信仰を集めています。

八、天神(てんじん)さま

天にいる神さまのこと?

 天神さまは、平安時代の貴族で政治家でもあった、菅原道真(すがわらのみちざね)公をまつる神社として知られています。
 天神さま、つまり菅原道真公は代々文章(もんじょう)博士という学者の家に生まれ、幼い頃からたいへん勉強に励まれ、最年少で国家試験に合格された立派な学者でした。菅原道真公が活躍された時代は、中国の唐の国の進んだ文化を取り入れて、学問を盛んにして立派な国を造ることが行なわれていました。道真公は、歴史や文芸だけではなく、中国の文化に関しても、とてもよく研究されて、その知識を生かして、政治の世界でも右大臣として登用され大変活躍されました。ところが、こうした活躍をこころよく思わない政敵によって、無実の罪を着せられ、九州の太宰府に左遷(させん)され、無念の死を遂げたのです。
 道真公が太宰府で亡くなられた後、都では天災が相次ぎ、政敵は落雷によって死んでしまいました。その後も干ばつや洪水・疫病などの天変地異が続いたため、これらはすべて道真公の怨霊(おんりょう)のせいだとして恐れられるようになったのです。そこでこの祟(たた)りを鎮めるために、京都の北野に道真公の霊をまつったのが、北野天満宮の始まりです。やがて道真公の生前の学問に対する偉大な功績から、学問の神さまとしてのご利益が広まり、広く親しまれ信仰されています。
 「天満宮」「天神社」「菅原神社」「北野神社」などの神社が、天神さまをおまつりしている神社で、全国各地にあります。

九、八坂(やさか)さま

キュウリが好きなの?

 八坂神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。八坂神社といえば、すぐに思い出すのが京都の祇園祭(ぎおんまつり)だと思います。このお祭りは、平安時代、疫病(えきびょう)退散のために御所(ごしょ)内で祇園御霊会(ごりょうえ)が行われたのが最初で、疫病・災害の原因を怨霊と考え、それを鎮めるために牛頭天王(ごずてんのう)をおまつりしました。
 牛頭天王は、インドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神といわれ、疫病封じのご利益があることから、仏教伝来と共に、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されるようになりました。八坂神社を天王さまと呼ぶところも多いようですが、それはこの名残です。
 全国各地の八坂神社も、その地域で疫病が流行(はや)り、それを鎮めるためにおまつりされた例が多いようです。夏に行われる天王祭では、地域によってキュウリをお供えする風習も見られます。
 この神さまがなぜキュウリが好物かと言えば、こんな話が伝えられています。その昔、牛頭天王が悪い神さまから逃れるために、キュウリ畑の中に身を隠し難を逃れました。悪い神さまはキュウリのトゲが嫌いだったのでしょう。
 それともう一つ、この八坂神社のご神紋は、ちょうどキュウリを切った切り口に似ているからという説もあります。

十、お諏訪(すわ)さま

もとは出雲の神さま?

 諏訪神社の総本社は、信州諏訪に鎮座されている諏訪大社です。諏訪大社には「上社(かみしゃ)」「下社(しもしゃ)」があり、さらに上社には「本宮(もとみや)」と「前宮(まえみや)」があり、下社には「春宮(はるみや)」と「秋宮(あきみや)」があります。
 上社の本宮には建御名方神(たけみなかたのかみ)をおまつりし、前宮には八坂刀売神(やさかとめのかみ)をおまつりしています。下社の春宮と秋宮にもそれぞれ夫婦の神さまがおまつりされています。
 上社・下社の各社殿の四隅に建てられる御柱(おんばしら)と称される樅(もみ)の木の柱を、申年と丑年の七年ごとに新しく曳き立てる「御柱祭」など特殊な神事が多くあります。
 建御名方神は、出雲国譲りの神話に出てくる神さまで、国を譲った後、長野県諏訪に鎮座し、住民に農耕や養蚕の業を伝えたので、農耕の神・五穀豊穣を祈る神さまとして信仰されています。

十一、鹿島(かしま)さま 香取(かとり)さま

東北に多いのはなぜ?

 鹿島神社の総本社は茨城の鹿島神宮で、武甕槌神(たけみかづちのかみ)がおまつりされ、香取神社の総本社は千葉県の香取神宮で、経津主神(ふつぬしのかみ)がおまつりされています。この二柱(ふたはしら)の神は、天孫降臨(てんそんこうりん)にあたって大国主神(おおくにぬしのかみ)さまと交渉し、ただ一人承服しなかった建御名方神(たけみなかたのかみ)を制圧し、出雲国譲りを成功させた神々です。東国の開拓神として、また、武勇の神さまとしても信仰され、関東や東北地方を中心に多くのご分社があります。
 また、この系統の春日大社は、香取・鹿島の二柱の神さまの他に、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめかみ)とをあわせて四柱の神さまをまつっています。昔、藤原氏が香取・鹿島の二柱の神さまを奈良に勧請(かんじょう)して氏神とされ、まもなく皇室・国家の守護神とされたのが春日大社です。

十二、熊野(くまの)さま

山伏(やまぶし)の修行場だった?

 熊野神社は、十二所(じゅうにしょ)神社・若一王子(にゃくいちおうじ)神社などとも称されます。総本社は和歌山県の熊野三山で、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)(本宮)・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)(新宮)・熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の三社を指します。
 ご祭神は本宮が家都御子大神(けつみこのおおかみ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、新宮が熊野速玉男大神(くまのはやたまおのおおかみ、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の御子)、熊野那智大社が熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、伊邪那美命(いざなみのみこと)です。
 皇室をはじめ多くの信仰を集め、「蟻(あり)の熊野詣(くまのもう)で」といわれるほど、昔からたくさんの参拝者があります。また、熊野三山は修験道(しゅげんどう)の修行者(山伏)の道場としてよく知られています。

十三、日吉(ひえ、ひよし)の神さま

都(みやこ)の守り神だった?

 日吉(ひえ、ひよし)神社、日枝(ひえ)神社、山王社(さんのうしゃ)と称されます。総本社は近江(おうみ)の日吉大社で、ご祭神は大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)と大己貴大神(おおなむちのおおかみ)です。大山咋大神は、大年神(おおとしのかみ)の御子で農耕の神と崇められています。また、別名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)といい、日枝山(比叡山)の山の神さまです。
 平安時代から京の都の丑寅(うしとら)の方角を守る守護神として信仰されてきました。

十四、愛宕(あたご)さま

防火の神さま?

 京都市嵯峨愛宕町の愛宕神社が総本社で、ご祭神は本宮に伊邪那美命・植山姫命(はにやまひめのみこと)・稚産霊命(わくむすびのみこと)・天熊人命(あまくまひとのみこと)・豊宇気毘売命(とようけひめのみこと)、若宮に雷神(いかづちのかみ)・迦具槌神(か ぐつちのかみ)をまつります。火ぶせ、厄除けのご利益があり、そのため、近くには水場がある場合が多いようです。

十五、宗像(むなかた)さま

弁天さまのこと?

 宗像(むなかた)神社は、宗形神社・弁天社・隠津島(おきつしま)神社とも称され、一般に弁天さまと呼ばれています。九州の宗像に宗像三女神(さんにょしん)( 田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)が天下られ、まつられたのが宗像大社の起こりで、海上交通・道中安全・漁業守護の神さまとして信仰を集めています。
 安芸(あき)の嚴島神社(いつくしまじんじゃ)、近江(おうみ)の都久夫須麻(つくぶすま)神社、大和(やまと)の天河(あまのかわ)神社、相模(さがみ)の江島(えのしま) 神社、陸前(りくぜん)の黄金山(こがねやま)神社は、日本五弁天として有名です。

コラム

鶏(にわとり)・鹿(しか)・狐(きつね)・猿(さる)・蛇(へび)などは神さまのお使いなの?

 奈良の春日大社を参拝されたことがある人は、たくさんの鹿を目にしたことでしょう。なぜ奈良の人が鹿を大切にするかというと、それは鹿が春日の神さまのお使いと信じられてきたからです。お使いは神使(しんし)ともいい、神さまのご意志を人間に伝えると信じられた動物のことです。
 古事記・日本書紀には、天照大御神さまが八咫烏(やたがらす)を神武天皇の道案内として遣(つか)わしたことが記されており、このことから熊野大社では八咫烏を神さまの使いとして尊崇しています。最近ではサッカーの日本代表のシンボルとしても有名です。
 そのほか、稲荷神社の狐や八幡神社の鳩、天神さまの牛、弁天さまの蛇、大黒さまの鼠(ねずみ)、日吉神社の猿など、全国各地の神社でさまざまな伝承が残されています。

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