第10章 お正月

新年を迎えるって、どういうこと?

一、お正月の準備

どんな準備をすればいいの?

 お正月は、家中が歳神さまをお祭りする祭りの場になります。そのため年末には、煤払(すすはら)いをして神棚や祖霊舎(みたまや)、仏壇などもきれいにし家中を清めます。そして注連縄(しめなわ)を張ったり注連飾(しめかざ)りを飾ったりして、不浄なものの侵入を防ぎ、家全体を神聖な場所にしておきます。
 家の門や玄関に注連飾りや門松を飾るのは、そこが清浄な場所であることを示すのと、歳神さまが家においでになるときの依り代(よりしろ、目印)とするためです。そして、床の間には鏡餅を飾って、歳神さまにお供えします。
 お正月飾りはなるべく三十日までに済ませるとよいでしょう。大晦日に飾ると「一夜飾り(いちやかざり)」といって忌み嫌われます。二十九日も「苦」に通ずるところから、お餅つきなどもこの日にはしないところが多いようです。
 そして歳神さまをおまつりするわけですから、家族一人一人が清浄な心身でお正月を迎えなければなりません。そのため神社では、十二月三十一日には「年越祓(としこしのはらえ)」というお祓いの神事が行われます。これは知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを祓い清めて、清々しい心と体でお正月を迎えるために行います。

二、歳神(としがみ)さま

歳って、年齢のことじゃないの?

 私たちが何気なく過す一年と云う「年」ですが、これは稲づくりをしてきた日本人の生活習慣からきています。春、種籾を蒔き、苗を育て、田植えを行い、秋には実った稲穂を刈り取り、冬には次の年の準備をする。このような一連のときの流れを「年」と呼びます。
 お正月は、家庭に訪れる歳神さまをお迎えするためのおまつり、ということができます。歳神さまは正月さま・歳徳神(としとくじん)さまと呼ばれ、豊作をもたらす神さまであり、私たちに幸福をもたらす祖先神とも考えられています。神を敬い、先祖を尊ぶ日本人の古き良き考え方が、お正月という行事には込められているのです。

三、門松(かどまつ)

お盆の迎え火と同じだって、本当?

 そもそもお正月は、ご先祖さまや歳神さまを松の枝、つまり門松に乗せて家々にお迎えする行事です。つまり門松は依り代(よりしろ)として、そこにご先祖さまや歳神さまをお迎えしてお祭りするという意味をもっているのです。したがって正月の歳神祭りは非常に重大な儀式であり、依り代としての門松は欠かせないものでした。
 一方、お盆の迎え火や送り火はお盆行事の中の先祖の御霊(みたま)をお迎えするための大事な火です。十三日の夕方に家の前で火を焚いて先祖の御霊を迎え、十六日の夕方には同様に火を焚いて送り出します。 
 もともと、お正月もお盆も共通の行事で先祖の御霊をお迎えし、丁寧にお祭りすることが本義でした。つまり、門松も迎え火もともに先祖の御霊をお迎えするための目じるしとなるものです。

四、若水(わかみず)汲(く)み 

若い水って、どんな水?

 若水とは、元日早朝に一番初めに汲む水のことで、人を若返らせ邪気を祓う力があると信じられています。
 若水は、福水(ふくみず)・若井(わかい)・初井(はつい)などとも呼ばれます。元日の朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に出会っても口をきかないしきたりであったといいます。
 平安時代の宮中では、立春の日に天皇さまに差し上げた水(立春水)を若水といいましたが、後世になり元日に汲む水を呼ぶようになりました。
 その水で歳神さまへの供え物や家族の食物を作ったり、口を漱(すす)いだり、茶をたてたりします。若水を汲むことを若水迎えともいい、その家の主人や長男がこの役目をはたします。
 この行事は新しい年を迎えるにあたって、生命を育む水の力に対する信仰がもとになっているといわれています。水神が、生命誕生や再生に大きな役割を果すことは、日本神話に見られるように古くからの伝承です。

五、お節料理(おせちりょうり)

酒の肴(さかな)ではありません

 お正月の料理にも、それぞれに祈りが込められています。例えば、お屠蘇(とそ)には、山椒、桔梗などの薬草が含まれており、これをいただくと一年の邪気が祓われ、寿命を伸ばすことができると信じられています。
 お節料理のいわれをあげてみると、 据わり鯛(すわりだい) 尾頭付きの焼いた鯛で、二尾の鯛を腹合わせにして頭と尾を高くかかげたもので、目出度いに通じます。 数の子 鰊(にしん)の腹子で、その由来は二親から多くの子供が生まれるという縁起をかついだもので、子孫繁栄の願いが込められています。 芋頭(いもがしら) 里芋の親芋で、家の芋ともいいます。小芋をたくさんつけるため、子宝につながり、また頭は人の上に立つ「かしら」に通じることから縁起がよいとされています。 昆布巻き 「喜ぶ」に通じ、目出度い席に使われます。
 本来おせち料理とは、お正月や節句に神さまにお供えするご馳走のことをいいました。

六、お年玉 

お正月にいただくお小遣(こづか)いのことではありません

 お年玉の語源は、古来の習慣であった歳神さまに供えられた鏡餅を人々に分け与えたことに由来するといわれています。鏡餅はもともと鏡をかたどったものであり、その鏡は、魂を映すものといわれてきました。古代の人々は「魂」と「玉」は同じものと考えていたのです。このことから、歳神さまの魂は玉に通じるので「年玉」と呼び、神さまから頂くお下がりなので、敬って「お」をつけ「お年玉」と呼ぶようになったといわれています。
 お年玉は、古くは現在のようにお金ではなく丸い餅でした。私たちの祖先は、子供たちの健全な成長を願い、歳神さまのお力がこもった丸餅を贈りました。
 今はお金をあげますが、まず、神棚にお供えして祈りと感謝を込めて、神さまの前で一人ひとりに手渡したいものです。

七、初詣

新しい年の幸せを願って

 年が明けると、まず家族揃って地元の神社にお参りに行きます。年が明けてから始めて神社に参拝することを初詣といいます。氏神さまや、その年の恵方(えほう)にあたる神社などにお参りして今年一年の無事と平安を祈る行事です。
 近年は、除夜の鐘が鳴り終わると同時にお参りする習慣が一般化してきていますが、古くは年籠もり(としごもり)といって、大晦日の夜から元旦の朝にかけて、氏神さまにお籠もりするのが慣わしでした。やがて、この年籠もりは除夜詣でと元日詣での二つに分かれ、初詣のもとの形となったのです。現在でも、除夜に神社などに一度参拝したのち家に帰り、元旦になって改めてお参りに出かけるという所もあります。
 お参りの順序としては、まず、一番身近な氏神さまをお参りしてその年の幸を祈り、それから日頃崇敬する神社や、恵方のお宮へ行かれるのが良いと思います。

八、正月行事 

どんな行事があるの?

 お正月には歳神さまが訪れ、一年の幸をもたらします。各家庭では注連縄や注連飾りを飾り、門松をたてて歳神さまを迎え、神棚や祖霊舎(みたまや)には若水とお正月料理を供えます。家族そろって挨拶を交わし、お屠蘇(おとそ)やおせち料理、お雑煮などをいただいて、新年の訪れをお祝いします。神さまやご先祖さまと一緒に家族全員でお正月料理をいただくことも元旦の大切な行事の一つです。
 また、お正月が一段落した十五日には、小正月の行事が行われます。
 代表的なものは、左義長(さぎちょう)・どんと焼き・鳥小屋(とりごや)などです。これはお正月にお迎えした歳神さまをお送りする行事です。お正月に飾った注連縄や門松、古いお神札(おふだ)などを焚き上げます。その火や煙に乗って歳神さまがお帰りになるといわれています。

コラム

昔のお正月は行事がいっぱい

 今はお正月というと、正月三ヶ日或いは七草を食べる七日までをさすようになってしまいましたが、少し前までは何々正月と呼ぶ行事が何度か続いたものでした。
 たとえば、小正月。これは旧暦の一月十五日(又は十四日から十六日)をいいます。元日を大正月と呼ぶのに対しての名称です。京阪神地方では「女正月」ともいいます。
 月の満ち欠けを日付けの基準とした旧暦では、新月の一日を「朔(ついたち)」、満月の十五日を「望(もち)」とよびました。したがって小正月は「望の正月」としてお祝いされたのです。
 明治五年十二月の改暦以降、新暦(太陽暦)が普及するに及び一月一日の大正月が正式の正月になるにつれて、小正月は豊作祈願に結びついて伝えられてきました。たとえば、餅花(餅を薄くのばし、丸く平たく切って彩色したもの)や削り花(丸木を削って作った造花)などを飾ってお祝いしました。そのため「花正月」ともいわれています。
 またよく知られた行事では「どんと焼き」「左義長(さぎちょう)」「鳥小屋(とりごや)」があります。正月の門松注連飾り書初めなどを持ち寄ってお焚き上げします。ここで正月が一区切り、正月事納めの意味が強い行事です。
 しかし、まだ正月は終わりません。
 小正月あとの十六日から十八日にかけては、「仏の年越し」とか「先祖正月」などといって、それまで控えていた墓参りをする地方もあります。
 十六日は薮(やぶ)入り。商家の奉公人の休日、里帰りの日でもあったので「丁稚(でっち)正月」ともいわれます。
 二十日は「二十日正月」、「麦飯正月」ともいいます。これは二十日にもなると餅を食べ終えて、麦飯を食べるようになるためといわれています。
 その後も二十五日を「しまい正月」、三十日を「みそか正月」などとも呼んで、正月行事を続けました。
 こうしてみると、ほぼ一ヶ月にわたって大小様々な正月行事が繰り広げられていることがわかります。それだけ昔は生活と時々の行事が密接につながっていたといえます。