神社ものしり事典

御神徳や御祈祷の紹介、神道の歴史や神話などをご紹介します。

第8章 服忌について
最愛の家族・親族の死を悼(いた)む心

コラム 「清(きよ)めの塩(しお)」は差別につながる?

 神道のすべての祭儀(さいぎ)において行われる「修祓(しゅばつ)」は、国土生成(こくどせいせい)の神であられる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、黄泉(よみ)の国(死後の世界)から帰ってこられた時、けがれた国に行っていたとして、自発的に禊(みそぎ)祓(はら)え(海や水に入って心身を清めること)をされた「自祓い(じばらい」に始まります。
 すなわち「修祓」とは、私たちが自発的に清浄(せいじょう、正常)な心身を回復しようとする謙虚な心の表れであり、さらに「神霊(しんれい)」や「祖霊(それい)」の霊威(れいい)が強まり、昂(たかま)っていただくことをお祈りする神事(しんじ)であり、決して「罪(つみ)」や「穢(けが)れ」に触れていることを下卑(げび)であることとしてさげすんだり、差別をするといった考え方によるものではありません。
 「修祓」は神聖性(しんせいせい)と清浄性(せいじょうせい)を保ち向上させようとする、宗教・信仰上(しんこうじょう)の自発的道徳精神の発露(はつろ)なのです。
 ちかごろ「お清め」は差別に繋(つな)がるから、葬儀後の「清めの塩」も廃止すべきだ、などと主張する宗教教団もあると聞きますが、このような主張こそは、尊いと崇める「厳粛な御存在」を、みずから汚(けが)し、否定することにもなりましょう。
 宗教や習俗におけるお清めの儀式には「塩をまく、水浴をする、香(散香・線香等)をたく・塗る(香水)、茶をかける、油をぬる、紅・丹・墨をつける」等、形態にはそれぞれ違いがありますが、「神聖性」と「清浄性」を保つための大切な儀式・作法として、世界中の多くの宗教や習俗において今なお厳粛に行われています。