神社ものしり事典

御神徳や御祈祷の紹介、神道の歴史や神話などをご紹介します。

第8章 服忌について
最愛の家族・親族の死を悼(いた)む心

九、なぜお祓(はら)いをするの?

 神道では神事(しんじ、お祭り)を行うときには、必ず最初に「修祓(しゅばつ)」と称して、お清(きよ)めのお祓(はら)いを致します。では、なぜお祓(はら)いを行うのでしょうか。実は修祓とは、「罪(つみ)」と「穢(けが)れ」をお祓いし、お清めして生きる力、つまり「生気」をますます強め、昂(たか)めていくための大切な神事なのです。

【罪(つみ)】

 日本人は、昔から「罪(つみ)」とは、道徳からはずれたり、法律などを破って社会生活の秩序を乱すといったことだけではなく、風水害や病害虫等の自然の災害にあうことも「罪」であると考えてきました。すなわち「罪」とは、人為によることであれ、自然発生によることであれ、人の精神や肉体、さらに自然現象やものごとが正常(清浄、せいじょう)ではない状態を「罪」と考えてきたのです。

【穢(けが)れ】

 「穢れ」とは、不浄(ふじょう)なものに触れるといったことだけではなく、よこしまなことを考えたり、言葉にすることも「穢れ」であると考えてきました。

【死(し)の穢(けが)れ】

 「死」はもっとも重大な「穢れ」であるとされています。死ぬことによって、肉体が崩(くず)れてしまうといったことだけではなく、生まれながらにして、神さまからいただいている瑞々(みずみず)しい「気(け、生気)が涸(か、枯)れた」(穢れた)結果、生きる力がなくなってしまったとして、恐れ、悲しむ心から「穢れ」であるとしてきました。
 つまり、「穢れ」とは、精神と肉体・物質とを問わず、不浄であることや、気涸(けが)れることによって、精神的にも肉体的にも生命力が衰(おとろ)えたり消滅することをもいうのです。
 このようなことから、「穢れ」に触れるということは、精神的にも肉体的にも生命力が衰えたり消滅したりして、人生を充実させることができなくなるということが理解できます。「修祓」(お清めのお祓い)をすることの意義と大切さがここにあります。